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2026年 2月 28日 横浜迂回奇譚、あるいは公開授業のお示し

横浜駅とは、文明が生み出した壮麗なる迷宮である。
人類は半世紀より前に月面に到達したが、横浜を最短距離で突破する術はいまだ確立されていない。
地上を行けば信号が嫌がらせのように赤へと変わり、地下へ潜ればいたずらに出口は増殖する。
やっとの出口かと、エスカレーターに乗ればなぜか一階分だけ違う世界へ導かれる。
頼みの綱である案内板は善意に満ちているにもかかわらず、だからこそ決定的な方向を示さない。
約束の時間は刻一刻と近づいているというのに、いまの私はどこにいるのだろうか。
この街は、私にこう告げている。
「寄り道は構わぬが、時間は待たぬ」
それは受験もまた然りである。
数学を開いたはずが、なぜか三十分後にはシャーペンの構造改革について思索している。
英単語帳を握りしめたはずが、「abandonの語源は…」と文明論へ逸脱し、最終的に“努力とは何か”という壮大な問いへ漂流する。
気がつけば机上には問題集が、心中には宇宙がある。
これはもう立派な形而上学である。
しかしながら、この地の迷子にも救済があるように、受験の漂流にも岸辺は存在する。
その岸辺の名を、東進ハイスクール横浜校という。
ここは怠惰を断罪する場所ではない。
むしろ、惰性をいったん受け入れ、「まあ座りなさい」と諭し、気づけば受験勉強をさせている不思議な空間である。
外界が過剰な光量と情報量で私の注意を粉砕するのに対し、校舎の内は驚くほど禁欲的だ。
受講室内の静寂。
ペン先の摩擦音。
キーボードの規則的打鍵音。
それはまるで、迷宮に思える港町の片隅で、極秘裏に建造される未来のようである。
派手な栄誉はまだ先だが、内部では着々とその像が組み上がっていく。
もちろん、私が人間である以上、迷う。
動画サイトは微笑むし、布団は包摂する。
果てに「今日は効率が悪い日だ」「通知を見るだけだ」「お腹が減った」などという高度に知的な言い訳が万遍の笑みをみせる。
そしてそれは、毎日のように微笑むから質が悪い。
だが、迷いの末に椅子へと腰を下ろすその動作は、実に尊い。
横浜にて「ええい、もうこの階段を上がってしまえ」と決断する瞬間と同じくらい尊い。
さて。
迷宮には、時折、全体図を携えた案内人が現れる。
案内板のように八方美人ではない案内人である。
普段は映像越しに語る講師が。
横浜の地に降臨し、言葉を直接放つ日。
公開授業である。
それは単なるイベントではない。
それは“点と点が突然、線へと昇格する瞬間”である。
次元が変わるのである。
点在していた公式が。
断片だった知識が。
曖昧だった焦りが。
「そうか」と一語で貫かれる。
脳内で小規模な落雷が発生する日である。
3月13日、3月16日、さらには3月21日、横浜にて公開授業を実施予定。
その一日は、
これまで赤信号に翻弄されていた、地下通路を彷徨っていた、エスカレーターに惑わされていた思考に、
一条の光を与えるかもしれない。
横浜という都市は今日も迂回を推奨する。
世界は今日も注意力を略奪する。
それでも。
迷いながらでいい。
寄り道しながらでいい。
ただ、ほんの一日、
地図を広げる時間を持ってほしい。
直進とは才能ではない。
直進とは、時折立ち止まり、方角を確かめる習慣である。
横浜の喧騒のただ中で、
静かに、しかし確かに未来を組み立てる場所がある。
迷宮を歩く者よ。
その日はどうか、遠回りの果てに公開授業へ。
たぶん、少しだけ、
世界の見え方が変わる。
そしてそれは、
意外にも、笑ってしまうほどに、単純なことかもしれない。













