受験、そして今後の人生におけるメンタルの保ち方 | 東進ハイスクール 横浜校 大学受験の予備校・塾|神奈川県

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2022年 10月 22日 受験、そして今後の人生におけるメンタルの保ち方

 はじめまして!!東進ハイスクール横浜校の吉岡です。実は今回がブログ初登場です!!駄文ではありますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです!!

昨日のブログでは、山田達也先生が「自分の将来について考えることの重要性」について書いてくださいました。

本日は打って変わって受験勉強、そして今後の長い人生においてのメンタルの保ち方というテーマで、高校生の皆さんよりも少しだけ長く生きている人間としてお話をしたいと思います。

 

 早速ですが、皆さんは受験勉強をする中で、もしくは日々生きていく中で精神的に不安定になったり、不安な気持ちになったことはありますか?

恐らくほとんどの人が「はい」と答えるでしょう。当然ですが、人間誰しも日々ストレスにさらされて生きています。定期テスト、模試、受験勉強、部活、人間関係、恋愛、将来への漠然とした不安など、枚挙にいとまがありません。

このように多種多様なストレスにさらされることで、精神的に不安定になることは当然のことです。むしろ日々ストレスを感じず、常に精神的に安定し続けている人間の方が特殊であると感じてしまう程です。誤解を恐れずに言えば、日々ストレスを感じ、精神的に揺れ動き続けながらも生きている皆さんの方が、かえって人間として正常な状態にあるといえます。

とは言いつつも、精神的な負担によってやる気がなくなり、無為な時間を過ごして後悔する人、体調を崩してしまってやるべき勉強、仕事から距離を取らなければならない人がいることも事実です。軽々しく考えることはできません。それではこのような事態を避けるためにはどのようにすればよいのでしょうか。

答えは簡単。逃れることのできない「ストレス」と折り合いをつけて生きていくということができればよいのです。しかし、この折り合いをつけて生きていくということが非常に難しい。折り合いをつけることさえできたなら、気持ちが楽になり、前向きに進んでいくことができるが...。頭では分かっているがどうしても悲観的になり心を病んでしまう。おそらく自分だけではなく、誰もがこの悩みを持ち続けていることでしょう。そこで、少しでも皆さんの参考になればと思い、私のメンタルを安定させるための考え方についてお話しします。

 

 私自身、高校生の時はこの「ストレス」に対して正面から向き合ってしまい苦しい思いをしました。私の中で一番のストレスになっていたのは自己肯定感の低さです。

勉強、運動、コミュニケーションなどいずれの能力も平均的であり、「自分には全く取り柄が無い」という観念を強く持っていました。特に勉強面では強い劣等感を感じていました。周りを見れば成績が良く、運動もでき、コミュニケーション能力も高いやつらがゴロゴロと存在しており、どうしても彼らと自分を比べることで己の無能さを痛感する。そうすると自ずと「自分の行動は無意味なのではないか」、「自分がどれだけ真面目に取り組んでも彼らには勝てないのではないか」と考えるようになります。ここまで来れば最悪です。何に対してもやる気が出ず、実際に向き合わなければいけない受験勉強からも目を背けていました。

そのような状況の中、当時のクラスの担任からの言葉が私の精神状態を大きく変えるきっかけとなりました。

               「隣の芝生は青く見える」

恐らく何十年も前から言われ続けており、何の新しさもない言葉ですが、私はこの言葉に助けられました。「勉強ができるあいつも、どうせ誰かと比べて自分と同じような悩みを抱いているんだろうな」と思えるようになり、ふと肩の荷が下りたように感じました。自分の主観から離れて外から自分を見つめ直したことによって、自分もまた隣人にとっては青い芝生の所有者であるということに気が付き、他人の芝生を羨むだけではなく、自分の芝生を見つめていこうと考えるようになりました。

 

 いま改めて振り返ってみると、この時に初めて自分のことを客観視し、他者と比べての相対評価ではなく、絶対評価によって自分の価値を認識できるようになったのだと思います。そして、このような価値判断の基準を持てたことによって、日々自分が感じているストレスと折り合いを付けることができるようになりました。その結果として、受験勉強に対しての向き合い方が大きく変化し、最終的には自分が納得する形で大学受験を終えることが出来ました。

 

 担任からの言葉によって絶対評価で自分のことを見つめられるようになったと書きましたが、そうはいってもやはり自己を評価する時に完全に他者の存在を除外することは極めて難しいことです。自己評価、自己分析と言っても結局は他者と自分との関係性の中で育んだ価値基準によって行うため、完全に他者の影から逃れることは出来ません。自分の存在やアイデンティティは増々曖昧なものとなり、そこをはっきりと解像度を上げて認識したいがために他者からの評価を求めてしまいます。しかし、そこで他者からの評価が大きくなりすぎると他者の存在が自己を蝕み、高校生の時の私みたいに隣の芝生が青く見えてしまったり、他人からの評価ばかり気にするようになるのです。そして自己肯定感が低下し、ストレスを感じてしまう。それでは、そうした状況から脱するためには何が重要であるのか。

私は「徹底的に自分の中での他者の地位を下げること」だと私は思います。

 古代ローマの哲学者であり皇帝でもあったマルクス・アウレリウス・アントニヌスの著書、『自省録』の中にこのような言葉があります。「死後の名声について胸をときめかす人間は次のことを考えないのだ。すなわち彼を覚えている人間各々もまた彼自身もまもなく死んでしまい、ついでその後継者も死んでいき、燃え上がっては消えゆく松明のごとく彼に関する記憶が次から次へと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを。」多少雑に言い換えると、「自分のことを評価する人間も自分もいずれ死に、ゆくゆくは自分に対する評価など完全にこの世から消え去るため、他者から評価などが絶対的な価値を持つことはない」ということです。

このように他者からの評価や、自分にとっての比較対象である他者自体もまた絶対的な存在ではないと考えることによって、自分の中での他者の地位を下げることが出来ます。このような相対主義的な考え方を持ったことによって、私は他人からの評価がさして気にならなくなり、自己肯定感を一定の水準で維持することが出来るようになりました。極端な考え方だと思われるかもしれませんが、自己肯定感を維持することには意外と有効なので、読者の皆さんも是非ともこの視点を取り入れてみて下さい。

 

 長々と書いてしまいましたが、まとめに入ります。受験生活、さらに今後の人生においてメンタルを保っていくことにおいては➀自分が羨んでいる人もまた、誰かを羨んでいるということを認識すること、②自分のことを評価する人間や、彼らからの評価もまた絶対的なものではないため、大した価値は持たないと思い込むことが何よりも大切であると私は思います。所詮他人は他人。それ以下でもそれ以上でもありません。周りの人たちのことなんて考えずに、自分に自信をもって前向きに頑張っていきましょう!!!!

 

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

 

明日のブログは川口先生です。乞うご期待!!!!!